1-2. 浄法寺と漆

江戸時代、全国的に漆の生産が奨励されたことは前の章で紹介しましたが、当時、浄法寺のあった南部盛岡藩にも漆掻奉行が置かれ、いまにつながる漆林が形成されました。明治期には越前衆と呼ばれる福井県の漆掻きたちが出稼ぎでこの地を訪れ、「殺し掻き」という漆掻きの手法を伝えたといわれています。

昭和中期、漆の価格が下落し、かわりに葉煙草(写真)の生産が盛んになります。いまも浄法寺には葉煙草の農家さんがとっても多いのですが、話を聞いてみると、漆の成分が葉煙草をだめにする、木が畑作業の邪魔になるなどの理由で、あまり印象がよくないようでした。その相性の悪さも災いしてか、かつて畑や街道に植えられていたというウルシノキの多くは伐採され、以降減少の一途を辿ります。

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結果、日本全国にあった産地と同様、浄法寺からもウルシノキが消えてなくな…らなかったのは、昭和後期から始まった植林のおかげです。「このままでは国産の漆がなくなってしまう」という危機意識から、漆をあつかう作家さんが集う日本文化財漆協会や、掻き子さんたちの組合である岩手県浄法寺漆生産組合などによる植栽が始められ、その活動はいまも続いています。協会のページを見るとその道のりが決して平坦でないことが伝わってきますが、なるべくたくさん、質のよい漆をとるため、日々、試行錯誤が重ねられているようです。

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手元にある岩手県林務課の2011年のデータによれば、当時浄法寺で約14万本、その他二戸市を中心とした県内で24万本以上のウルシノキが確認されています。そのうち、漆掻きに適した健康な木はおよそ15万本。こうして聞くと大変な数ですが、幹が充分な太さに成長するまでに10年以上かかること、また、ひとりの掻き子さんが一夏に数百本の漆を掻き、掻いたあとは切り倒してしまうことなどを考えると、びっくりするほど多いわけではありません。

10年後、100年後を見据えて木を植える、それが漆の文化を守るはじめの一歩です。

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