うるしの入り口

わたしが漆と(本当の意味で)出会ったのは、3年前、はじめてのお給料がきっかけでした。

「ショニンキュウで両親にオクリモノ」という、実行するのが気恥ずかしいような定番を、それでもやはり実行しようと思いたって、デパートのエスカレーターをくるくるのぼっていったのを覚えています。

キッチン用品売場で、数々のかわいい陶器に目を奪われ、ビールがおいしく飲めるタンブラーとか、江戸切子のグラスも、おお〜いいかも!などと、ひどい迷い癖を遺憾なく発揮しながら、ふらふらふらふらふら…

 

いつの間にかわたしは「漆器」のコーナーに立っていました。

それまで「漆」への興味は、これっぽちも、と言い切っていいくらい、持ったことはなかったのです。

企画展かなにかで目立っていたのか、そういうわけでもなかったのか…今となってはもうよく思い出せませんが、その日の私はなぜか立ち止まって、すると、売場にいたおじさんが話しかけてくれました。

 

「プレゼントか何か?」

「はい、両親に」

「若い夫婦なら、こういうデザインのおしゃれなのが人気なんだけどねえ」

 

そう言っておじさんが指したのは、側面が平らでなくだんだんになっていて、刷毛ではいたような塗りめの、凝った夫婦汁碗。

それから次に、「拭漆」と書かれた素朴な木地のお椀。側面から台のところまでがしゅるっとひとつながりになったお椀、など。

漆のなんたるかもよく知らない私は、「へえ〜かわいらしいデザインのがあるもんだな」と思いながらあれこれ見比べました。

 

「でもある程度の年齢の夫婦なら、こっちのが絶対、いいと思うね」

 

おじさんが自信あり気(だった気がする)に見せてくれたのは、打って変わって凝ったところのないように見える、いかにも器然とした形の夫婦椀。

表面が少しマットで、でも見るからにすべすべしています。

値段は、さっき見ていたものの2倍とちょっとくらい。

それまで、意外に多様なデザインの、おしゃれなお椀に目が向いていた私ですが、その時おじさんが指してくれたよく見慣れた形のお椀の、でも「普通」とはいえない美しさに、目を奪われました。

器について、目に美しいということと、使うことの気持ちよさを、同時に、直感的に感じたのはあのときが初めてでした。

手に取りたくてそわそわしました。

そのときに考えたあまり細かいことは覚えておらず、たぶん直感的に「これだ!」と思った、ああいう買い物は後にも先にもなかなかないと思います。

 

贈り物をしたしばらく後で実家に帰った時、食卓に並んだ赤と黒のふたつのお椀を見て、その時の直感が正しかったことがわかり、とても嬉しくなりました。

母が合わせ味噌で作る少し白っぽいおみそ汁の、なんと映えること。

口に当たるまるい部分の、なんとやわらかそうなこと!

斬新なところのない、絵に描いたような器らしい器の、なんと食卓になじむこと。

 

初めてもらったお給料でちょっといい贈り物をしたいと思って、

たまたま入ったデパートで様々な漆椀のデザインを見比べることができて、

売場にいたおじさんがとても親切に相談に乗ってくれて、

そしてその時22歳だった私は、世の中の、これまで気づかずにきた美しいものに少しずつ目が向くようになっていて、…

 

何が直接の原因なのか、どれもが関係していたのか、とにかく私はあの日「漆」の世界の入り口に立ちました。

みなみちゃんからめじろ会の話を聞く、数ヶ月前のできごとです。

 

漆と出会うタイミング。

たくさんの人の人生に訪れるといいなぁ、と、めじろ会の会員として、いち漆ファンとして心から思います。

漆に(物理的に)かぶれてしまう私は、生の漆を扱って作品をつくる、という漆との関わり方は難しいかもしれません。

でも、お金をためて漆を買ったり、漆と料理の相性を考えたり、その他考えられるいろいろな形で漆への愛を深め、願わくば漆との出会いを、ほかの人の人生にもちらりとさしこむことができたら…と、思いをめぐらせる今日この頃です。

SAKI