ドイツ・ハンガリー・オーストリア(1)

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漆に詳しい人は南蛮漆器と言われればピンと来るかもしれません。最近は漸くそのくらい認知度が上がってきたように思います。とはいえやはり、なんだそれは、という人が大半だと思います。

南蛮漆器が何かというと、400年前くらいに日本から海外に輸出された漆器達のことです。当時日本にはあのフランシスコ・ザビエルを筆頭にたくさんの外国人がなだれ込んできました。そして鉄砲やらカステラやらワインやら、日本人にとっては珍しいものを山ほど日本に紹介して、キリスト教を普及させました。と、ここまでは誰でも良く知っている日本史です。でも、本当はそれだけではないのです。裏日本史があるのです。

日本にやってきた外国人の本当の目的はもちろん、富を得ることです。そう、つまり貿易です。貿易がしたいが為に日本にやってくるのであって、日本人に色々教えてあげよう、というのんきな話ではないのです。ということは必ず何か持ち帰らなくてはならない。ヨーロッパには無い、みんながほしがる大もうけできるもの。そして彼らは出会ってしまったのです。黒く輝く宝石のような漆器の数々に。

当時ヨーロッパには黒い塗料がありませんでした。もちろん、蒔絵や螺鈿の技術も無い。漆器は彼らが見たことも無い黒い塗料を当たり前のようにたくさん使って、しかもそれがピカピカ光っているのですから(蠟色仕上げの場合です)吃驚仰天です。なんとしてでも持って帰りたい、少しでも多く漆の作品を手に入れたい、そう思った外国のみなさんはどんどん日本人に漆器を作らせます。日本人も喜んで作ります。それまで、見たことも無い宇宙人みたいな人たちがどかどかやってきて次から次へとお金を払って作品を買ってくれる訳です。うはうはです。

そういう訳で、外国人向けの漆器というのが開発され、どんどん海外へ渡っていきました。これが南蛮漆器です。外国人向け、というのは最初は宗教道具です。キリスト教のミサやお祭りに使う道具、聖人の絵を飾る聖龕(せいがん)という厨子の様なもの、そしてインディージョーンズがお墓の奥で見つけそうな「まさに宝箱」といった箱の数々。こういった作品群が未だにヨーロッパで大切にされているのです。

輸出漆器は時代によって名前を呼び分けています。今書いた400年前くらいのものが南蛮漆器、その後オランダインド会社を中心に広まっていったのが紅毛漆器、その他明治に入ってからも輸出漆器はたくさんありますが、呼び名は曖昧です。個人的には南蛮漆器、紅毛漆器ももう少し分類を精査した方が良いように思います。